戦国時代。戦(いくさ)中の食事事情

室町幕府終末期から江戸幕府創設までを一般的に戦国時代と言います。
武田信玄・織田信長・徳川家康、、、。よく聞く戦国武将達が活躍した時代です。

戦国時代は好きな人が多く、最近では戦国時代の合戦を戦うゲームも発売されているようで、小学生でもマニアックな武将を知っている子達も居る位です。

戦国時代には各地で領地争いの戦(いくさ)が行われていました。
家から遠く離れた場所で数か月間戦い続ける兵士達は一体何を食べていたのでしょうか?

今回は、“いくさ”中の食事事情について書いていこうかと思います。

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戦国時代。”いくさ”中の陣中食

いくさ中には実際どんな食事をとっていたのでしょうか?
一つずつ見ていきましょう。

兵糧丸(ひょうろうがん)

“いくさ”中に食べるものです。ある程度保存がきく食べ物を携帯していました。

主な陣中食に兵糧丸(ひょうろうがん)というものがありました。
兵糧丸とは、そば粉や魚粉、梅干、ゴマ、蜂蜜などを混ぜ合わせ団子状にしたもので、お腹はふくれませんが少しの摂取でもかなり動ける程のカロリーが摂取できたようです。

干し飯(ほしいい) 煎り米

干し飯とはその名の通り、白米を干したもの。天日で2日程干せば半年以上もつそうです。

お仏壇に置いてある“おぼくさん”(仏様のお食事)をさげた時の白米をさらに干した感じです。
(小さいころ“おぼくさん”を勝手に食べてしまってよく叱られました、、、。)

干し飯はそのまま食べたり、湯でもどしたりして食べたそうです。

煎り米

煎り米は炊飯する前の米を煎ったもの。
パリポリ食べたそうです。

焼みそ

こちらも保存がきくので、先の“干し飯”と一緒に湯でもどしてお茶漬け感覚で食べていたそうです。
また、焼みそをそのまま丸めて団子状にして携帯もしていました。

梅干し

こちらは言うまでもない保存食ですね。
一粒も小さく携行しやすい。“いくさ”で汗をかいた時の塩分補給に最適。
まさに万能食です。

この万能な梅干し。さらなる使い道もあるのです。

戦の携行食、“梅干し”の意外な利用法




突然ですが“いくさ”中、どうやって水分を調達していたと思いますか?

当時の日本は非常に自然が豊でした。川の水も現在とは違いとても綺麗です。
大量に水を持って行かずとも竹筒にさえ持っていれば、近くの川で容易に水の調達が出来ました。

後方の部隊は案外のほほんとしていたので時間にも余裕がありますが、最前線で戦う足軽達はそうはいきません。一進一退の攻防を繰り広げ、夜襲に備え夜も眠れぬ日々が続きます。

戦闘中ともなれば、水を汲みに行く余裕なんてありません。
では、喉の渇きをどうやって潤したのでしょうか?

そんな時にも活躍するのが“梅干し”なんです。

梅干し

美味しそうですね。
よく見てみましょう。

梅干しアップ

何だかよだれが出てきますね。

!?

そうです。
“梅干し”の意外な利用法とは、見つめる事だったんです。

急激に汗をかくと、熱中症云々よりも喉が乾いて苦痛なのです。
これは、あくまでカラカラの喉を唾液で潤す手段で、実際水分が補給されるわけではありませんが、、、。

最前線で働く足軽達の過酷さが伺われる利用法でした。

今回、一部をご紹介させていただきました。
やはり、“保存がきく”、“手軽にカロリー摂取が可能”という所に重きを置かれています。
少し美味しそうで試してみたいものもあるかもしれませんが、ほどほどに。

戦国時代の武将達は、こういった乾物ばかりたべていたせいか、胃に負担がかかり胃ガン等で亡くなった方も少なくありません。

発展した平和なこのご時世。
農家の方に感謝を込め、新鮮で栄養満点、美味しい食事をとりましょうね。

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