※2017/11/20 『御伽草子』原本の「浦島太郎」の挿絵を載せました。
「浦島太郎」のおとぎ話。知ってますよね?
ざっくり紹介すると、
“浦島太郎さんが助けたカメに連れられて、竜宮城で楽しい日々を過ごします。”
“帰りに『決して開けてはならぬ』玉手箱を貰って帰るのですが、帰って玉手箱を開けてしまいます。”
“すると中から煙が出てきて、煙を浴びた浦島太郎はお爺さんになってしまう。”
という、なんか最後が気持ちよくない終わり方で終わるお話です。
カメを助けて良いことをして、竜宮城で楽しい思いをした。
開けるな!と言われた箱を開けてしまい、お爺さんになってしまった。
という内容から、
“良い事をするといい報いがくる。しかし、悪い事をすると悪い報いが来る。”
という事を学べるおとぎ話として知られていますね。
実は、この「浦島太郎」の物語は今から1300年も前に作られました。
時代の流れで少しづつ形を変えて、今に伝わっています。
目次
現代でいう所の絵本。『御伽草子』(おとぎぞうし)
私たちが知っている「浦島太郎」は、『御伽草子』(おとぎぞうし)の“浦島太郎”がベースとなっています。
『御伽草子』とは、室町時代の頃作られた当時は珍しい挿し絵入りの短編集で、現代でいう所の絵本のようなもので、有名な“一寸法師”も集録されています。
『御伽草子』は今だ研究途中ですが、全部で400編以上の短編物語が存在すると言われています。
室町時代以前は恋物語や、貴族の日記もようなテーマばかりでしたが鎌倉時代末期頃から、斬新なテーマで物語が描かれるようになりました。主人公が一般庶民にだったりと、誰でも楽しめる内容のテーマが多く書かれるようになったんです。
少し話がそれましたが、『御伽草子』に集録されている「浦島太郎」は僕たちが知っている浦島太郎と少し違います。
『御伽草子』に集録されている「浦島太郎」の物語を見てみましょう。
『御伽草子』の「浦島太郎」の原文を現代語に訳しながら少しづつ見ていきましょう。(一部中略)
カメとの出会い!編

出典 : 国立国会図書館
浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母を養ひけるが、ある日のつれ釣をせむとて出でにけり。(中略)
ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、
「汝生あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、
此の龜をもとの海にかへしける。(中略)
引用 : 浦島太郎
【現代語に訳すと、】
浦島太郎という、24~25歳の男がいました。太郎は漁師として生計を立て両親を養っていました。
その日は“ゑじまが磯”という所に釣りに出かけましたが、かかったのはカメでした。
浦島太郎は「亀は1万年も生きると言うのに、ここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるんじゃないぞ。」と逃がしてやりました。
あれっ。
浦島太郎はカメを釣ちゃってますね。僕の知っている浦島太郎では確か、カメがイジメられているのを浦島太郎が助けたはずです。
まぁ、いずれにせよ浦島太郎は心が優しい青年で、カメを助けた。という内容は同じですね。
「恩を忘れるんじゃないぞ。」と善意ではなく恩を売ったような浦島太郎の発言は少し気になりますが、続きを見ましょう。
カメに連れられて竜宮城へ、、、。行かない!編

出典 : 国立国会図書館
かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船せうせん一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば〔留まり見れば〕、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著きにけり。
浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟〔はしけ舟、小舟〕に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ〔前世の〕御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
引用 : 浦島太郎
【現代語に訳すと】
カメを逃がしてやってから数日後、また釣りに出かけた浦島太郎は海の上に浮かんでいる小舟を1艘見つけました。
よく見てみると、船の上には美しい女性が乗っていました。
浦島太郎が「危ない海の上をなぜ一人で乗っているのか?」と尋ねると、
女性は、
「船旅の途中で嵐にあって船が転覆してしまいました。」
「沢山の人が海に落ちましたが、親切な人が私を小舟に乗せてくれました。」
「おかげで命は助かりましたが、一人ぼっちで悲しい思いをしていました。
「鬼の住む島へ行ってしまおうとさえ思いましたが、行き方もわからず海を漂ってました。」
「そんな時に、あなた様と出会いました。きっと何かの縁だと思います。」
と言って泣き出してしまいました。
可愛そうになった浦島太郎は助けてあげようと、縄で小舟を岸に近づけてあげました。
あれっ?カメが出てきませんね?
出てきたのは美しい女性です。浦島太郎は竜宮城へは行けないのでしょうか?
続きを見ていきましょう。
女性の屋敷へ!浦島太郎の重大な決断!編

出典 : 国立国会図書館
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處いづくへ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」(中略)
浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。
かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀しろがねの築地をつきて、黄金の甍をならべ、門もんをたて、いかなる天上の住居すまひも、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所詞にも及ばれず、中々申すもおろかなり。
さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁〔前の世からの因縁〕ぞかし、ましてやはるかの波路を、遙々とおくらせ給ふ事、偏に他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや。」と、こま\〃/と語りける。浦島太郎申しけるは、「兎も角も仰せに從ふべし。」とぞ申しける。さて偕老同穴のかたらひもあさからず、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならむと、互に鴛鴦のちぎり淺からずして、明し暮させ給ふ。
引用 : 浦島太郎
【現代語に訳すと】
しかし、その女性は船からは降りず、
「このままここに居ても、海の上を漂っているのと変わりません。」
「どうか、私を故郷まで送り届けてもらえませんか?」
と、浦島太郎に頼んできました。
浦島太郎は可愛そうになり、同じ小舟に乗って漕ぎ出します。
女性の言う方向に10日程船を進めました。
そしてついに女性の故郷にたどり着きます。
浦島太郎は、どんな所だろうと船を降りて見回しました。
すると、そこには口では説明できない位の豪華な屋敷があったのです。その美しさは、神様でもこんな豪華な所には住んでいないだろう。と思う程のものでした。
女性は言いました。
「きっと、あなたと出会えたのは運命です。あなたがはるばる私を故郷まで送り届けてくださったのもきっと運命がそうさせたのです。」
「どうか私と、結婚してこのままここで暮らしてもらうことはできませんか?」
浦島太郎は、「そうしましょう。」と答え、二人は夫婦となりました。
こうして二人は鴛鴦(“えんおう”→“オシドリ ”のこと)のように「いつまでも一緒だよ」と語り合いながら、楽しい日々を過ごしました。
ここでついに、竜宮城っぽい所に来ましたね。
そして人生でのビックイベントである“結婚”の相手を、出会って10日の女性に即座に決めてしまします。
それでいいのか?浦島太郎!
続きを見ていきましょう。
全てが驚き!竜宮城での楽しい日々!編

出典 : 国立国会図書館
さて女房申しけるは、
「これは龍宮城と申すところなり、此所に四方に四季の草木さうもくをあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」
とて、引具して出でにけり。
まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥うぐひすの音も軒近く、いづれの木末も花なれや。
南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔つる垣穗かきほには、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀みぎは涼しき漣さゞなみに、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。
西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませ〔ませ垣、低い垣〕のうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけ\/て、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。
さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くもの、煙にしるき賤がわざ、冬としらする景色かな。
かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年みとせになるは程もなし。
引用 : 浦島太郎
【現代語に訳すと】
女性が言うには、この屋敷の名前は“竜宮城”だそうですです。
女性は、浦島太郎の手を引っ張って、四方を戸で囲われた立派な建物へ案内しました。
「ここに四季折々の草木をあらわしてお見せします。今宵はここでごゆっくりお楽しみください。」
と、女性は東の戸を開けました。
戸の向こうには春の景色が広がっていました。梅や桜は満開に咲いていて、柳の枝も春風になびいていてどこからともなくウグイスの声も聞こえてきます。
それは美しい春の景色でした。
次に女性次々と戸を開けていきます。
南の戸の向こうには、今度はなんと夏の景色が広がっています。池に蓮の花(ハスの花)が咲いています。
池には薄い霧がかかっていてとても涼しそうで、水鳥が楽しそうに遊んでいます。
周りの木も美しく茂っていて、空からは蝉の声。夕方の雲の間にはホトトギスが夏を知らせるよいうに鳴きながら飛んでいます。涼しげな夏の景色がそこにはありました。
西の戸の向こうは秋です。
木は紅葉して美しく、生け垣の内側に白菊が咲いています。
霧が少しかかった奥の野原には鹿が鳴いています。まさに秋の風景が広がっていました。
北を眺めてみると、それは冬景色でした。葉がすっかり落ちた木が立ち並び、落ち葉には霜が降りています。
雪が積もった山の谷間には、料理でもしているのか、細い一本の煙が立ち上っています。
それは美しい冬の景色でした。
竜宮城には珍しいものばかり。それは驚きと感心の毎日でした。
そしてそんな日々が三年続きました。
やはり浦島太郎がきた屋敷は“竜宮城”でしたね。
僕の知っている物語では、“竜宮城”は海底にあったんですが、、、。原作は少し現実的な場所に設定されていたようですね。
現実世界では味わえない驚きの毎日。異世界に近い竜宮城での暮らしはさぞかし楽しかったでしょうね。
そして三年後、、、。
続きを見てみましょう。
故郷が気になる太郎!女性から告白された事実とは?編

出典 : 国立国会図書館
浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、
女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦ゑんわうの衾のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに〔心遣ひをしましたのに〕、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻ゆめまぼろしの契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめ\〃/と泣き給ひけり。
又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、
ひだりの脇よりいつくしき筥を一つ取りいだし、「相構へて〔決して〕この筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。
引用 : 浦島太郎
【現代語に訳すと】
浦島太郎は、三年の月日を過ごすうちに故郷の事が気になり女性に言いました。
「故郷に残した両親の事が心配だから、一ヶ月だけ元の世界に戻ろうかな。」
すると女性は、
「三年もオシドリの様に仲良く生活しました。」
「今別れてしまっては、次はいつ会えるかわかりません。」
「生まれ変わってもあなたと私は夫婦になると信じています。」
と言いながら泣き出してしましました。
さらに女性は、
「何もかも包み隠さずお話しします。」
「私は竜宮城のカメなんです。」
「あなたに“ゑじまが磯”で命を助けてもらったカメなんです。」
「助けてもらったご恩を返すべく、夫婦となって側に置いていただいたのです。」
「どうしても元の世界に帰るとおっしゃるのでしたら、、、。」
と言うと、女性は左のわきから綺麗な箱を取り出しました。
「この箱をお持ちかえりください。しかし決して開けてはなりません。」
そう言うと女性は箱を手渡しました。
女性が竜宮城のカメであること。以前、浦島太郎に助けられた過去があることを打ち明けました。
そして、浦島太郎は例のごとく玉手箱なるものを手渡されます。
開けてはならぬ箱、、、。ただの荷物ですが、続きを見てみましょう。
豪遊のつけが回った?変わり果てた故郷の姿!辺

出典 : 国立国会図書館
さて浦島太郎は互に名殘惜しみつゝ、かくてあるべき事ならねば、かたみの筥を取りもちて、故郷ふるさとへこそかへりけれ。(中略)
さて浦島は故郷へ歸りみてあれば、人跡絶えはてて、虎ふす野邊となりにける。
浦島これを見て、こはいかなる事やらむと思ひける。かたはらを見れば、柴の庵のありけるにたち、
「物いはむ〔一寸お伺ひしますの意〕。」と言ひければ、内より八十許りの翁いであひ、
「誰にてわたり候ぞ。」と申せば、浦島申しけるは、
「此所に浦島のゆくへ〔浦島のゆかり〕は候はぬか。」と言ひければ、翁申すやう、
「いかなる人にて候へば、浦島の行方をば御尋ね候やらむ、不思議にこそ候へ、その浦島とやらむは、はや七百年以前の事と申し傳へ候。」と申しければ、太郎大きに驚き、
「こはいかなる事ぞ。」とて、そのいはれをありのまゝに語りければ、翁も不思議の思ひをなし、涙を流し申しけるは、
「あれに見えて候ふるき塚、ふるき塔こそ、その人の廟所と申し傳へてさふらへ。」とて、指をさして教へける。
太郎は泣く\/、草ふかく露しげき野邊をわけ、ふるき塚にまゐり、涙をながし、かくなむ、
かりそめに出でにし跡を來てみれば虎ふす野邊となるぞかなしき
引用 : 浦島太郎
【現代語に訳すと】
浦島太郎は名残惜しみながら、手渡された箱を持って故郷へ帰るべく船を漕ぎ出しました。
ついに故郷に着いた浦島太郎でしたが、そこは人の気配が全くない荒野と化していたのです。
辺りを見回すと一軒の小屋が建っていました。
小屋にはどうやら人が住んでいるようです。浦島太郎は小屋に近づくと「お尋ねしたいことがあります。」と言いました。
すると小屋の中から「こんな所に何かご用ですか。」と言いながら80歳位のお爺さんが出てきました。
浦島太郎は、「この辺りに“浦島”の家族が住んでいたはずなのですが、、、?」と尋ねると、
「“浦島”という家があったのは700年も昔の話。と聞いております。」とお爺さんは答えました。
浦島太郎はとても驚きました。浦島太郎はお爺さんに、自分は3年だけ竜宮城にいた事。戻ってみると今の状況になっていた事。を話しました。
お爺さんはそれを聞いて、泣きながら指さして言いました。
「あそこに見える塚が浦島家の墓です。」
浦島太郎は泣きながら塚に向かって歩きました。
たったの3年帰らなかっただけなのにどうして700年もたっているのか、、、。
竜宮城で過ごした3年は、浦島太郎の世界では700年だったのです。
故郷が荒野と化してしまった浦島太郎。
どんな心境なのかはかり知れません。
続きを見ていきましょう。
欲には勝てない?箱を開けた浦島太郎の結末とは?編

出典 : 国立国会図書館
さて浦島太郎は一本ひともとの松の木陰にたちより、呆れはててぞゐたりける。
太郎思ふやう、龜が與へしかたみの筥、あひ構へてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせむ、あけて見ばやと思ひ、見るこそ悔しかりけれ。
此の筥をあけて見れば、中より紫の雲三筋のぼりけり。これをみれば二十四五のよはひも忽ち變りはてにける。さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。(中略)
生あるもの、いづれも情を知らぬといふことなし。いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。(中略)
浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす〔仲間となつて居る。仙人の仲間であらう〕。龜は甲に三せきのいわゐをそなへ〔甲に三正(天地人)の祝ひを備へか〕、萬代よろづよを經しとなり。扠こそめでたきためしにも鶴龜をこそ申し候へ。只人には情あれ、情のある人は行末めでたき由申し傳へたり。其の後浦島太郎は丹後の國に浦島の明神と顯はれ、衆生濟度し給へり。龜も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。
引用 : 浦島太郎

出典 : 国立国会図書館
【現代語に訳すと】
浦島太郎は一本の松の木の下に立ちより、絶望していた。
浦島太郎は絶望のさなか、竜宮城のカメ(女性)がくれた箱を思いだしました。
開けてはならぬと言われたけれど、今の絶望より大きな絶望はないだろう。開けてみよう。と、浦島太郎は箱を開けてしまいます。
すると箱の中から紫色の煙が三本立ち上ってきました。24~25歳だった浦島太郎の姿がみるみる変わっていきます。
最後には浦島太郎は“鶴”になってしまいました。
鶴になった浦島太郎は大空に羽ばたきながら思いました。
恐らく竜宮城に居ている間は元の世界の何倍もの速さで年をとってしまうんだ。
人間ならあっという間に死んでしまう。
竜宮城のカメ(女性)は、私が年をとらないように私の“歳”をあの箱の中に入れててくれたんだ。
そして、もし箱を開けてしまった私の為に千年生きるといわれる鶴に姿を変えてくれたんだ。
鶴になった浦島太郎は、蓬莱の山に向かって飛んでいきました。
その後、浦島太郎は丹後の国に浦島明神としてあがめられました。
竜宮城のカメも同じ場所に神として現れ夫婦の神となることができました。
めでたしめでたし。
“生あるものは情があって当り前!”
“人間として生まれてきた私たちは、支えあって生きていくべき!”
“恩を知らない人間は、木や石と同じ!(心を持たない)”
“亀は甲羅に3つの良いものを供えると、万年いきるといわれ、情に厚い人ほど幸せが訪れると伝わります。”
おしまい。
以上が浦島太郎のもととなった『御伽草子』(おとぎぞうし)の中の「浦島太郎」です。
終わり方としては、個人的にこちらの方が好きですね。
玉手箱を開けてしまってからはあまり詳しく書かれていませんが、玉手箱を開けてお爺さんになってしまった後に、
“悪いことをしたら自分に返ってくるよ”という教訓で終わるよりすっきり終われている気がします。
僕が驚いたのはこの「浦島太郎」の最後に書かれている人間のあるべき生き方です。
いつの時代も同じような教訓が伝わっています。
教訓が伝わるという事は、人間がそこまで成長できていない証拠ですよね。
道徳的にはわかちゃいるけど、“やっぱり一番大事なのは自分” という考え方の人が圧倒的に多い世の中(僕も含みますが、、、)。
“誰もが、他人の為だけに事を成せば自然とみんな幸せになれる”ことはわかってはいるのですが難しいですよね。
“イジメ”や“若者の不良行為”の見て見ぬふり。
“大人になってもルールが守れない”モラルの低さ。
“親を親と思わない”現代の風習。
日本人に限っても変えるべき問題は山ほどあります。
人間が争いごとをせずに共に支えあい共存できる時代がくるといいですね。
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コメント
浦島太郎の話って、古代日本史の空白の150年って言う関係ありませんか?
答えを出すことは自分を知れていいことだと思いますよ
神は答えを逃す場ではありません
人は皆同じところからスタートします
赤子を見てください
自分の幸せ第一です
最初の方が自分が一番大事だとしたら赤子かもしれませんね
ほのぼのスタイルさんが助け合いたいのだとしたら子供かもしれないですね
助け合いには依存心があります
親離れできていないということで子供です
悪いことではありません
何事も順序です
正常です
大人として独立したら誰かを助けようと助けて欲しいとは思いません
めっちゃ読み応えがありました
おじいさんになっちゃうより鶴ENDの方が切なくていいですね
何故「自分が一番大事」ではいけないんですか?
どうも自己犠牲は昔から過大評価され過ぎていると思いますがね。
自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません
他人中心で生きて自分を二の次にしているといざ自分が困ったとき、その他人からの助けがない場合果たして自分に自分を救う手段を持っているんでしょうかね。
コメントありがとうございます。
もちろん「自分が一番ではいけない」ことはありません。
人間のあるべき生き方を考え始めると『哲学』の話になるので結論は出ませんが、
〈コメント者様〉の考え方は『自由至上主義』や『利己主義』という考え方で支持者も多く存在します。
私が記事内で書かせて頂いたのは『功利主義』(利他)という考え方です。
全ての人間が『利他主義』の精神で生きた場合、
困ってる人を放っておくという事態は起きないはずです。
(引きこもって世間とのコミュニケーションをとらない場合は除く)
自分は例え自分のメリットにならないことでも、社会的に良くなる事であれば行動
するのです。
なんだか気持ち悪い気もしますが、この生き方ができるのは人間だけです。
人間以外の動物は皆、『利己主義』でしか生きられないと思います。
知恵をつけ、食物連鎖のほぼ頂点に立っている人間だからこそ、
『自分』が一番ではなく、他人のために生きるべきではないかと私は考えています。(共存する精神)
実際問題、そんな世界になんてならないこともわかっていますが、
理想・こうあるべきと思っています。
決して他の考え方を否定するものではありませんのでご了承ください。
哲学は永遠の科学なんて言葉を聞いたことありますが、確かにその通り!
絶対ダメ!なんて生き方は無いと思います。
戦争はいけない!
というのが一般論ですが、これも、ほんとうにいけないのか?
戦争に勝った国の人々が少しでも幸せになれるのであればいいのでは?『幸福主義』
自殺・自殺幇助がいけない?
自分の命を終わらせると自分で決めた人間の命を奪うことがなぜ悪い?『自由主義』
答えは『神』のみぞ知るのかもしれませんね。
(私は『神』も『仏』も信仰してません)
古典翻訳できるなんてすごいですね。
豪華絢爛!女性の屋敷の画像には笑わせてもらいました。
竜宮城での3年が現実の700年だったとのことですが、人間と亀の寿命の割合を表してるんでしょうね。
戦国時代で人生50年って言ってたくらいなので御伽草子の時代はもっと短いことを考えると寿命は43歳くらいといったところと仮定すると、43歳に対する3年と10000年に対する700年が同じくらいの割合になりますね。