知られざる豊臣秀吉のコンプレックス

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農民からわらじ取として信長への仕官をえて、やがて天下人となる『豊臣秀吉(羽柴秀吉)』

未曾有の大出世を遂げた秀吉ですが、コンプレックスもありました。

今回は、あまり知られていない『豊臣秀吉』のコンプレックスをご紹介します。

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秀吉には指が6本あった!?

秀吉の右手には指が6本あったと記録した文献が多く残っています。

ルイス・フロイスの残した『日本史』にも、

『秀吉は身長が低く、片手には6本の指があった』

と残っています。

 

指の数が多いのは日本人ならそうも珍しくなく、“多指症” という病気で現代でもなりうる病気です。

 

 

秀吉の指6本説は、映画等でも描かれており三谷幸喜監督の『清須会議』でも秀吉は右手に常に手袋をしています。

三谷幸喜監督の歴史もの作品はかなり忠実に描かれていて個人的に大好きです。
昨年放送されていたNHK大河ドラマ『真田丸』でも、豊臣秀吉が自分の事を“豊臣の秀吉”と言っていました。“豊臣”は厳密にいえば氏(うじ)にあたるので、藤原の、や、中臣の、ように“の”でつなぐのが正解なんです。

秀吉は毛が薄かった!?

秀吉が仕官し続けた織田信長から、秀吉が何と呼ばれていたかご存知ですか?

秀吉のあだ名は『ハゲネズミ』だったんです。

これは、信長から秀吉の奥さんに宛てた手紙にも記されていて、『こんなにきれいな嫁がいるのに女遊びばかりしているハゲネズミはどうしょうもないやつだ』といった内容の手紙が現在でも残っています。

毛が少ないのは頭だけではありませんでした。
秀吉は髭もほとんど生えてこなくて、他の大名のような立派な髭に手入れすることもできませんでした。

そこで秀吉はどうしたのかというと、『つけ髭』で対策していました。
つけ髭である事がバレるとまずいので、つけ髭の製作を委託する商人にもきつく、口外無用といったそうです。

三谷幸喜押しではありませんが、三谷幸喜監督の『清須会議』でも秀吉の毛の少なさが描かれています。

秀吉はわらじを本当に懐で温めていたのか?

秀吉がわらじ取だった頃、冬に信長のわらじを懐で温めてから差し出したというエピソードがありますね。

このエピソードも何の根拠もなく、恐らく『太閤記』が書かれる時に作られた作り話だろうという考え方が多いようにも思いますが、それでは面白くないので実際に秀吉が温めていたのかもということで進めていきます。

 

 

ここからは僕の考えになってしまうのですが、織田信長の人物像からしてそんなゴマすりしかできない人材を気に入るとは思えません。

 

 

恐らく秀吉は座っていたのでしょう、、、。

 

 

己の尻が冷たくないように、主君のわらじの上に、、、。

 

 

そこをうっかり信長さんに見つかってしまったのでしょう、、、。

 

 

焦ったでしょう、、、。

 

 

そこで、その場をしの為に頭を働かします。
『信長様が寒くないように懐で温めてたんです、、、。』

 

 

信長も100%嘘だとわかっています。

しかし信長はそんな秀吉から、窮地に立たされても、とっさに現状打破の策(自分に不利な事情を有利な事情に)を出してその場を回避できる能力を見たのではないでしょうか?

織田信長はいい人材を見つける天才でした。能があれば身分なんて気にせず採用しています。
そんな信長の治める尾張国に生まれた事が天下人への第一歩だったのかもしれません。

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