『氏名(うじな)』・『姓(かばね)』・『字(あざな)』・『諱(いなみ)』ってなんだ?
藤原道長は(ふじわらのみちなが)なのに織田信長は(おだののぶなが)と言わないのはなぜでしょう?
少し複雑な日本人の名前の歴史をご紹介します。
とても長い日本人のフルネーム
実は明治時代以前の日本人の名前はとても長かったんです。
例えば、江戸幕府を開いた『徳川家康』のフルネームは、
『源朝臣徳川次郎三郎家康』 です。
とてつもなく長いですね。
これは家康に限った事ではありません。
少し時代が進んで、幕末の志士。『坂本龍馬』のフルネームがこちら。
『源坂本直柔龍馬』。
少し短くなりましたが、やはり長すぎます。
これは人の名前が現代の様に、『名字』と『名』の二部構成ではなかったからです。
明治時代以前の人名がどのような構成になっていたのか見ていきましょう。
明治時代以前の名前の構成
『氏名(うじな)』
まず、系統を表すおおきなくくりとして『氏名(うじな)』があります。
『氏名』は代々引き継がれるもので、その人の血統です。現代でいうと苗字のようなものです。
数はそれほど多くなく、「 蘇我 」、「 藤原 」、「 源 」、「 平 」、「 豊臣 」などがあります。
平安時代の『源 頼朝』(みなもと の よりとも)のように、最後に「 の 」をつけて読みます。
『姓(かばね)』
684年に天武天皇が「八色の姓(やくさのかばね)」を制定しました。
天皇に貢献したものだけが名乗る事を許された、名誉のあるもの。それが『姓(かばね)』です。
「真人(まひと)」、「朝臣(あそみ)」、「宿禰(すくね)」、「忌寸(いみき)」などがあり、「真人」が最上位になります。
天皇から授からないと名乗れなかったので、『坂本龍馬』のように、姓がない人物もいます。
『苗字』
『苗字』はその家の出身をつけたり、自分が所有している土地の名前を付けたりしました。
『苗字』は、江戸時代では武士や公家以外は名乗ることが許されませんでした。
そして、明治時代に入って「平民苗字必称義務令」が出されると、今まで苗字が無かった者たちは自由に苗字を付けました。
氏名をそのまま苗字にした者や、住んでいる土地の名前を付けた者、何かの思い入れがあって何かしら自分で考えてつけた者まで様々です。
自由に苗字を決めて届出ますが、この際に文字を間違えて届け出してしまったり、墨がにじんで違った文字になってしまった事も少なくありませんでした。
こんな漢字あったの?思う漢字が苗字についている方は、そうかもしれません。
『字(あざな)』
『字(あざな)』というのは自分やで決めたり親が決めたりできるような簡単なもので、その人個人の通称です。
例えば、その家の次男として生まれてきたものは「次郎」とつけたりしました。
『諱(いなみ)』
『諱(いなみ)』はその人の正式名称に当たりますが、その人を呼ぶときに諱(いなみ)で呼ぶことは殆どありません。
呼ぶときは対外『苗字』や『字(あざな)』で呼んでいました。
織田信長の場合だと家臣からは「殿」や「上総介様」。他からは「織田どの」といったぐあいです。
ここまで、見てきたうえでもう一度歴史上の人物のフルネームを見て良きましょう。
今度はわかりやすく色分けしてみます。
『氏名(うじな)』
『姓(かばね)』
『苗字』
『字(あざな)』
『諱(いなみ)』
人物 | フルネーム | 読み方 |
---|---|---|
豊臣秀吉 | 豊臣 朝臣 羽柴 藤吉郎 秀吉 | とよとみの あそみ はしば とうきちろう ひでよし |
織田信長 | 平 朝臣 織田 上総介 信長 | たいらの あそみ おだ こうずけのすけ のぶなが |
徳川家康 | 源 朝臣 徳川 次郎三郎 家康 | みなもとの あそみ とくがわ じろうさぶろう いえやす |
伊達政宗 | 藤原 朝臣 伊達 藤次郎 政宗 | ふじわらの あそみ だて とうじろう まさむね |
柴田勝家 | 源 朝臣 柴田 権六 勝家 | みなもとの あそみ しばた ごんろく かついえ |
明智光秀 | 源 朝臣 明智 十兵衛 光秀 | みなもとの あそみ あけち じゅうべい みつひで |
坂本龍馬 | 源 坂本 直柔 龍馬 | みなもとの さかもと なおなり りょうま |
となります。
僕の好きな戦国時代の武将達に偏ってしまいましたが、基本はこの構成で成り立っています。
他にも『武家官位』や、『渾名(あだな)』等で呼ばれることも多かったようです。
(武家官位とは、朝廷から頂いたランクのような物。「筑前守」や「内大臣」など)
自分のご先祖様の氏名はなんだったのか?
調べてみると面白いかもしれませんよ。